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人形劇団【かわせみ座】
人形劇団【わかせみ座】プロフィール
月刊「清流」1998年10月号掲載記事 清流出版 平成10年10月1日発行

“空想する時間”を贈る夫婦二人の人形劇

山本由也さん、益村泉さん夫婦

 二人で「かわせみ座」の活動を続けて四年。幽玄な人形の動き、そして奇想天外な話の展開が観客たちを魅了する。温かみのある演出、人形遣いの阿吽の呼吸は夫婦ならではのもの。「子どもの頃、青い空を流れる雲をぼーっと眺めていたことはありませんか?クジラや鳥、シュークリーム・・・、次々と変わる雲の形をいろんなものに見立てて楽しんだ頃の記憶。心の奥底に眠る無邪気な心や素朴な感動を呼び起こしてください」山本由也さん、益村泉さん夫婦は、そんなメッセージを込めながら、人形劇に取り組んでいる。

大人の“心の扉”をノックする
 音楽に合わせて、小さな木箱から人形が顔を出した。「あれ、何だろう・・・・・」 観客の視線は一斉に舞台の一点に集中する。手のひらに乗るほどの少年の妖精・パーンが主人公。『ことばのないおもちゃ箱』という小作品集の一作で、かわせみ座の演目の中でも人気の高いものの一つだ。パーンは音に合わせてかくれんぼしたり、コミカルに踊ったりする。操り手の山本さんと一体になって、舞台上を所狭しと遊び回る。人形とは思えない繊細な動きにあっと驚いたり、可愛らしいしぐさに思わず微笑む。 次の幕ファーストシーンは、薄暗い舞台に白い蝶のような羽が舞っている場面。その後ろを少年が網を持って追いかけてくる。(もう少しだ、早く捕まえろ)(つかまらないように早く逃げて!)この小品集は、文字通りせセリフはない。人形たちの動きと効果音だけで構成されている。ある演目では人の哀しみを、またある演目では友情や冒険心を表現する。だからといって押しつけがましいところはない。一人ひとりが人形の気持ちになってストーリーを考える構成になっている。いつの間にか舞台の人形と観客は心が通い合う。「人形はすべてオリジナルで、今八〇体以上あります。一体一体、操作の仕組みが違うんですよ。構想から制作、舞台での操作まで全部やるので、人形は自分の分身みたいなものです。」と、かわせみ座代表の山本さん。「冒険心、好奇心、無邪気な心、純粋な哀歓など、観客の皆さんの”感性”を引き出せたらと思っています」妻の泉さんは、ご主人とともに舞台で人形を操ったり、音楽を担当する。時には登場人物となって、人形と共演することもある。夫婦で織り成す人形芝居の数々。次はどんなものが出てくるのだろうかと見る者をわくわくさせ、忙しい日常生活に流されて、蓋をしてしまっていた大人たちの”心の扉”をノックする。

人形劇との出会い そして二人の出会い
 山本さんが人形劇と最初に出会ったのは、テレビ番組『ひょっこりひょうたん島』。当時四歳だった山本さんは、すり鉢ですったり紙と小麦粉を混ぜ合わせ、紙粘土にして人形を作ったりしていた。「あまり人との協調性がないほうで、小さい頃から一人で考えたり、作ったりするのが好きでした」 高校を卒業する時に、両親と話し合い、人形劇団に入ることに決めた。「どれだけ自分でできるか、挑戦してみたかったんです。その劇団では、人形作りや操作法など基本的なことを習得させてもらいましたが、最終的には自分のやりたいことを追求したくて、かわせみ座を作りました」創立は昭和五十七年。山本さんは、ラジコンや細密機械の部品、手作りの部品を使って従来にない人形を考案した。まるで生きているような動きで、独創的な人形劇となっていく。 泉さんもまた、小さい頃より人形劇と縁が深かった。母親が中心となって、家族や仲間とともにセミプロレベルの人形劇団を結成し、地元・広島の幼稚園や保育園、図書館などで上演していた。昭和五十七年、父親の退職を機に上京。子供向けの人形劇団「くれよん座」をつくり、家族四人で本格的に活動を開始する。「私は小さいときからあまのじゃくで、親と同じことはしたくないと思っていたんです。劇団の手伝いはしていましたが、バレリーナになりたくて演劇養成所に通いながらバレエを習っていました。でも二十歳頃、足をケガしてバレエを断念・・・。それから、演劇に方向転換して芝居に熱中してました」 昭和六三年、四年に一度の大きなイベント、世界人形劇フェスティバルが日本で行われた。山本さんはかわせみ座として出場。観客の一人だった泉さんは、会場近くで行われていた山本さんのストリートパフォーマンスの人形に吸い寄せられた。「躍動感あふれる人形の動きにとても感動しました。人が感動する時って、既存の概念を打ち破られたときですよね。人形劇は子供のためのものだいう固定観念が、その時、打ち破られました」 それから五年後の平成五年、岡山で行われた人形劇フェスティバルで偶然「かわせみ座」の上演を目にする。その夜、交流会で二人は初めて言葉を交わした。「人形劇をやっていると、内に籠もって視野が狭くなりがちだけど、彼は演劇などの方面にも目を向けていて、表現者として私と共通する部分があるな、と思いました」「僕はあまりお喋りが得意なほうではありませんが、その時は芝居の話で珍しく盛り上がって、楽しかったですね。でも、まさか夫婦になるとは思ってもみませんでした」 と山本さんは照れくさそう。 その後、かわせみ座の公演案内が泉さんの元に届くようになり、徐々に親しくなって付き合いが始まる。だが、当時、泉さんには結婚を前提に考えていた人がいた。「一度は『さよなら』をしたんですが、まだ脈があると信じて、彼女に手紙を書きました。僕は本当に筆無精なんですけど、この時ばかりは自分の思いのたけを長い手紙に託しました」 物静かな山本さんの情熱に、泉さんの心は次第に傾いていく。何回か文通をした後、出会った翌平成六年の元旦、二人は山登りをすることになった。「名も知らない奥多摩の山に行って鍋をした帰り、道に迷ってしまいました。誰もいない山道をコンパスもなく、残っていたミカンを彼と分け合って食べながら、何とか にたどり着くことができました。その時なぜか“この人とだったら「やっていけるかも”と感じたんです」 それからはとんとん拍子。同月の二十五日に式を挙げた。無論、友人や家族一同が目を丸くした。

それぞれの能力を注いで作品ができあがる
 結婚した頃、泉さんは演劇の方面でさらなる活躍をという夢を描いていた。 「彼は『好きなことを続けていいよ』と言ってくれたんですが、当時のかわせみ座は数ヶ月に新作公演を控えているのに人形もできていないし、スタッフ構成もひどい状態。資金繰りも目処が立っていないし、手伝わざるを得ない状態でした」 泉さんは、人形製作のことだけで頭がいっぱいの山本さんに代わって、かわせみ座の立て直しに全力を尽くした。当時を振り返って言う。 「徹夜が何日も続くし、半年間一度もテレビをつける暇がないほどでした。あんなに忙しい思いをしたのは最初で最後かもしれません。 でも、何で私がこんなことを・・・、という考えにはなりませんでした。舞台というのは総合美術で、一人でできるものではないのです。だから私たち二人を核に、必要に応じて音響、照明などを、気の合う仲間に手伝ってもらうスタイルにしました」 それまで山本さん一人が追われていたことを、二人で分担していくようになる。夫が「今度はこんな感じの作品に」と、漠然としたイメージを伝える。すると妻が背景や音響を具体化して演出をしていく。そして夫が人形作りに専念すれば、妻がスケジュール管理をする。「作品を作りながら、ぶつかり合うこともしょっちゅうですよ」と山本さん。「お互い、作品へのこだわりがあって、譲れない部分があるからね」と泉さん。「でも、ぶつかり合わないと、いいものができない。“いい作品を作りたい”という根本は同じだから。それぞれの能力を作品に注ぎ込めば、よりよいものができると僕は信じています。」 二人は二十四時間、一年三六五日、食事をするのも、人形を作るのも、舞台でも、いつも一緒。「『別々にいる時間があってもいいのでは』とアドバイスしてくれる友人もいますが、私たちは一緒にいるほうが自然なんです。ふと横を見るといつも彼がいる。共存しているという感じ」 山本さんが付け加える。「そうですね、だからこそ阿吽の呼吸で演じられるのかも」人形たちとともに世界へ ある時、山本さんが「外国に行って上演したいな」とつぶやいた。「それじゃ、行きましょうよ」と行動派の泉さんは、世界人形フェスティバル事務局へ早速アクセス。平成九年にハンガリーで開催されることを知ったが、その時点では、すでに日本の代表が決まっていた。だが、泉さんは諦めなかった。自主参加での出場を乞ううち、決まっていた代表がキャンセルして、かわせみ座が招待劇団となったのだ。「日本で人形劇というと、子ども向けと捉えられていますが、人形劇の本場、ハンガリーでは人形劇自体が文化として根付いているんです。観客の反応もシビアで、面白くないとさっさと帰ってしまうし、逆に面白ければ体全体で楽しんでくれる。とても緊張しましたが、言葉の壁を超えて手応えを感じました。終演後、お客さんが楽屋に押し寄せてきてくれたりしたんですよ」 そう語る泉さんだが、海外公演後、彼女の中で大きな変化があった。それまでは、かわせみ座を手伝っているという意識が拭えなかったが、本格的に二人でやっていこうという気持ちが固まった。「夫婦でやっていくことの意味を再確認できました。連携プレーの面白さを感じつつ、人形の素材選びからストーリーの題材まで、誰もがやったことのないものをと、全力で取り組んでいます。人形作りに関して彼は天才的ですから、私はアシスタントに徹します」「彼女のお陰で人形作りに没頭できています。演劇やバレエをやっていたから身のこなしもきれいで、舞台上で映えるんですよ。もう少しのんびりしている部分もあっていいかなと思うけど・・・」「そんなことに付き合っていたら、公演までに間に合わないでしょ!」“静”と“動”の、性格の異なる二人。だが、その視線の先にあるものは同じ。「奇をてらったり流行を追ったりせず、人として失いたくない感性-歓びや悲しみ、恥ずかしさ、可愛らしさ-の一つひとつを、人形を使って表現していきたい。可能性は、無限だと思うんです」山本さんがそう言えば、泉さんは、「人形たちとともに世界中を回ることが夢。いろんな国の人と出会って、人形を通して文化の交流をしていきたい」 子どもや大人という枠、国境をも越えて二人が大切にし、信じているもの・・・。それは、人間の豊かな感性。二人+人形たちは、現代社会で失いがちな、“空想する楽しいひととき”をプレゼントしてくれる。
文=中本敦子