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人形劇団【かわせみ座】
「現代ギター」1997年5月号掲載

「濱田滋郎」対談「山本由也」
濱田 今日はわざわざプラテーロを持ってきていただきまして・・・間近に見ることができて感激です。初演のときに拝見しましたが、本当に、ロバが生きているようでしたね。思い出してみますと、確かに山本さんがついて歩いてらしたはずなのに、浮かんでくるのは可愛かった姿や可哀相だった姿だけなんですよ。
山本 そういっていただけると本望です。使っている人間は、気を消すということが一番ですので。
濱田 これは、初演(95年1月)の時に作られたロバなんですか。
山本 そうです。美術的なデザインから構造から全部自分で考えて・・・大変でした(笑)。
鎌田(慶昭)さんは楽曲のニュアンスをどう伝えるかということ、私のほうは構造的なことやロバの演じ手としての操作のこと・・・お互いにフウフウとやっていました(笑)。
濱田 あと、詩人役の方がいらっしゃいますね。
山本 植本(潤)くんですね。
濱田 ずいぶんリハーサルを重ねられたでしょうね。あれは、どなたが発案されたんですか?
山本 演出の吉田(雅之)さん、それから脚本を書いた光瀬(名瑠子)さん、あのお二人がもともと動物に関する音楽をまとめてシリーズでやってらっしゃって・・・
プラテーロというロバを題材にした詩集があってそれに曲をつけたものがある、これはおもしろいんじゃないかと。93年頃にはもう既に温めていたそうです。うちの劇団かわせみ座で「まぬけなリュウの話」という芝居をやった時、光瀬さんが関っていたことがあって、その竜の愛くるしさというのか表情の細かさを見て、ロバは山本さんしかいない、ということで声をかけていただいて。
濱田 作品が音楽としても文学としてもレベルの高いものだから、とてもいい舞台ができましたね。
山本 鎌田さんのギターって、音にすごく表情があるんですよね。奥行きを持たせて奏でるというのはむずかしいと思うんですが、包容力があって。残念だったのが、同じ舞台空間でやってしまうと、楽しめないんですよ(笑)。プラテーロが死んだ後の(憂愁)でしたっけ、あれしか聴いてない(笑)。
「自分の能力しだいで何でもできる創造の極みじゃないかと思うんです」
濱田 すごく可愛いロバができましたけど、モデルというのは何があるんですか。
山本 たいへんでした。写真集から何からいろんなものを見て・・・ヒメネスの描いたロバはグレーっぽいロバなので、そういうロバを一生懸命調べて。百科図鑑の後ろのほうに動物園の索引があって、それで羽村の動物園にいることが判明しまして。わざわざ行って1日中ロバを見ていたり。
濱田 なかなか実物は見られないですよね。スペインの田舎へ行くと、まだロバが村の中を振り分け荷物で歩いてますね。でも考えてみるとどういう特徴なんでしょうか、耳が大きいのかな。山本:そうですね、耳が大きくてまつげが長くて目が大きいというのが特徴ですね。で、馬に比べて小振りで、馬のバランスからいうと頭が少し大きくて。で、まあ、臆病だという。実際には変な声で鳴くんですね、ロバって(笑)。でもそれをあの作品の中でやってもそぐわないので、自分なりのプラテーロの声、というのを考え出したんです。
ところで、人形を始められたきっかけというのはどういうことだったんですか。
山本 NHKで昔「ひょっこりひょうたん島」とかの人形劇の番組があった、あの頃が子供時代なんです。それと、自分が何か始めようかと思った中学、高校の頃に、辻村ジュサブローさんの「八犬伝」と「真田十勇士」を見たのが・・・
人形劇というとどうしても子供のものというイメージになりますが、ジュサブローさんの人形には大人でも通用する世界がありますよね。そういうことがあって、作って動かす、ということがすごく魅力的で。しかも自分で作って動かすということでは、すべてゼロから始められるということですよね。自分の能力次第で何でもできる世界。これは創造の極みじゃないかと思うんです。自分で、自分の奏でるギターを作って演奏する・・・どこか音色が悪いということがあったらどんどん改良していく状態、だと思うんです。
濱田 失礼ですけど、そういう人形作りの技術というのは学校で教わるものですか。
山本 残念ながら学校がないので、竹田人形座という糸操りの専門の劇団に在籍して、基本的なものをいろいろ見て技術を習得して。あとは独学です。
濱田 人形を創って、実際にそれを自分で動かして命を与えるというのは素晴らしい世界ですね。
山本 世界中見回しても、人形技術と構造力学的なものと両方兼ねて創作する人−楽器で言えば新しい楽器を創って自分で奏で、しかも美術的なものにこだわりを持っている人は、本当に貴重な存在に”なっちゃう”んです。自分としては、すごく哀しいんですけどね。もっといろんな人形を創ってほしい・・・
濱田 でも、実際にそうやって創りだされる方は少なくても、見る人は無限に広がるでしょう。
山本 そうだとありがたいんですけど、創るほうと動かすほうにかまけて、制作のほうが全然・・・(笑)いろんなところで公演できるように奔走しているんですけど、日本の場合だと、人形劇を芸術的な視野に立って見てくださる方が本当に少ないんです。
濱田 人形劇そのものは非常に古い伝統があって、日本にも人形浄瑠璃があるくらいですが・・・。
山本 そうなんです。それが分断されているんですよね。文楽は古典芸能であり、芸術的にも優れたものとしての評価があるにもかかわらず、現代人形劇はお子様向き・・・。助成金を得ようとしても、人形劇は受ける枠がないんです。それがやっぱり日本の現状なのかなって、かなり残念なんですけどね。
濱田 ヨーロッパでは、マリオネットなんていうのがずいぶん伝統があって。
山本 そうですね。フランスですと、国立の人形芸術学院みたいなものが存在していますし。発祥の地というぐらい、古い、権威のある場所みたいですね、フランスは。フランスにシャルル・メジェールという場所があるんですけれども、そこには3年に1度フェスティバルが開催されて、世界中の人形劇からピックアップされたものの公演があるんです。私も幸い、そこで今年公演して来ます。「スペイン版プラテーロをぜひ実現してください」
濱田 ファリャがおべらを2つ書いてまして、その2つめは人形劇のオペラなんですよね。「ペドロ親方の人形芝居」という。
山本 あっ、写真は見たことあります。
濱田 劇中劇みたいに、オペラの中で人形劇が演じられるという設定なんです。その部分をバレリーナがやるとか、そういう形も取られているんですけど、人形を使った本来の姿を一度、日本で見たいなと思ってるんです。
山本 ぜひどなたか、声をかけてくれないでしょうか(笑)。
濱田 ご自分では音楽はなさらないんですか。
山本 残念ながらやらないんです。音楽を聴くのは好きなんですけれどね。
濱田 でも、人形の代わりに歌うことも必要になるんじゃないですか、ときどきは。
山本 ・・・恥ずかしい・・・(笑)。
鎌田さんと知り合う前は、ギター曲として知っているものといえば<禁じられた遊び>とか、本当にオーソドックなクラシックばかりでした。ですから、ああいう色気があるというか、表情豊かな音色を奏でる楽器としての認識はなかったですね。自分の肉体で弦を奏でるわけですから、弾き方によって全然違うでしょう。
濱田 本当に、人形を自分で創って動かすというのと共通点がありますよね。手作りの世界という点で。今、「プラテーロ」のほかにもいろいろと演目をお持ちだと思うんですけど。
山本 ええ、たくさんあります。小品ですと30作品ぐらいありますし、長編の作品も4本ぐらいあります。松本雅隆さんが主催する「ろばの音楽座」に古楽演奏していただいたこともあります。
濱田 お宅には、人形がどのぐらいあるんでしょうか。
山本 50ぐらい・・・年々増えていってるもので(笑)
ギターより大きいケースが必要なんです。
濱田 人間と動物どちらが多いんですか。
山本 人間のほうが多いのかな・・・人間っていっても、妖精的なものが多いですね。架空の生き物・・・竜とか、物語に登場してくる不思議な生き物みたいなものが結構多いですね。やはり、人間が(演じることが)できないものを創って演じるということに、人形ゆえのメリットというのか、意義がありますので。
濱田 すべてご自分でお創りになった?
山本 そうです。自分でデザインして、妻と一緒に作って。
濱田 脚本はご自分で?
山本 自分で書いたり、妻が共同でやったり・・・。作品によっていろいろです。外部の方に書いていただいて演出していただいてという場合もありますし、はじめから原作が存在してるものもありますし。
濱田 今これから取り掛かろうとしてらっしゃるプロジェクトはありますか。
山本 ええ・・・日本の滅びゆくものたちへの哀歌みたいなものを。日本の伝統上の生き物・・・昔、囲炉裏ばたでおばあちゃんが話した中で息づいていたようなものですね、そういうものたちを題材にした小品集、オムニバスみたいなものを作りたいと思ってるんです。鬼と河童、狐、狸・・・。滅んでいったものに対する詩みたいなものを作ってみようかな、と考えているんです。河童は去年創ったんですが、日本で最後に残ってしまった、たった一匹の河童、という設定の小品なんです。
濱田 実現なさるといいですねぇ。私は、赤鬼青鬼というと・・・
山本 「泣いた赤鬼」ですね?
濱田 実はあれを書いた浜田ひろすけが、私の親父でして。
山本 えーっ!そうなんですか!
濱田 ですからうちでは節分の日に「福は内、鬼は内」って言うぐらいなんです(笑)。それで、鬼が他人のように思えなくて。
山本 そうですか・・・私が在籍していた竹田人形座でも、「泣いた赤鬼」を上演させていただいたことがあって・・・。
すみません、知らなくて(笑)。
濱田 でも素晴らしいですね。毎日毎日が一つの目的への過程ですからね。無駄な日はないですね。
山本 本質的にはぼーっとしているほうが好きなんですが(笑)。
濱田 いや、ぼーっとする時間は本当に大事です(笑)。万事だんだん機械的になってきますからね。
山本 草とか木とか虫の動きを見たり、雲が流れるのを眺めてたり、星を見たり・・・
そういう時間はすごく大切じゃないかなと思います。自分が人形を創る時、動かす時に、そういういろんな現象なり物の営みなりをイメージして自分の中で反芻して、ひとつに集約させて・・・。
だから、今回の「プラテーロ」の中でも、ロバの動きじゃないものがたくさんあります。犬的であったり、猫的であったり、いろんな動物のしぐさをたくさん盛り込んで表現しているので・・・
それを自分の中で培うゆとりみたいなものがあるといいかな、と思います。
濱田 ところで、スペインにはいらしてますか。
山本 実は今年11月の終わりから12月にかけて、サン・セバスチャンの隣にある、トサロという町で行われる人形劇のフェスティバルに参加することになってるんです。マドリッドみたいな都会じゃないですから、スペインならではの情緒が楽しめるのではないかと思っているんです。
濱田 「プラテーロ」を持ってらっしゃるんですか。
山本 いえ。うちの小品集・・・台詞をまったく使わない、人形と音楽を組み合わせた、人形で描く詩集みたいなものなんですけど、それを持っていきます。
濱田 あのプラテーロを持ってらして、ヒメネスの故郷あたりでなさったら?
詩人役をスペイン人が演ってくれればできますよ。音楽は万国共通の言語ですから。
私がヒメネス記念館に行った時には、そこにプラテーロが飾ってありましたね。
山本 いろんな方からプレゼントされたプラテーロが飾ってあるという話は聞きますが。
濱田 プラテーロのお墓、なんていうのが松の木の根元にありまして・・・本当に素朴な村ですね。
山本 都会の波が寄せてこないところなんですね。
濱田 一度行ってごらんになるといいですね、プラテーロを連れて。
山本 たいへんなんです、重いし壊れやすいから(笑)。
小さい箱で手軽に持っていければぜひ連れて行きたいですけど、大きいですからね。
濱田 じゃスペインにしばらくいらして、その間に、もう一つスペイン版プラテーロを作られるといいんじゃないですか(笑)。
喜ばれると思うな、スペインでは。是非実現してください。