Home 人形劇団 かわせみ座から 人形劇団 かわせみ座 公演情報 人形劇団 かわせみ座 プロフィール 人形劇団 かわせみ座 作品紹介 Gallery 人形・マリオネット制作ワークショップ アート工房
人形劇団【かわせみ座】
 記事・劇評
人形劇 silent poems〜サイレント ポエムス〜

「ル・コティディアン」紙 '02.10.8
チュニジア:チュニス市国立劇場公演より

素朴さの美学

 “まず教訓として得るのは舞台の合理性である。ちょっとした方法が大きな効果を生み出すのだ。2人の人形遣いと何体かの人形・・・。幕が開くと幻想的な世界が広がり、言葉はかすみ意味だけが解き放たれてゆく”
 誰もがその瞬間を感じるだろう。完璧な動きを与えられた人形達が、まるで密かな魂を宿しているかのように動き出す。彼らはやがてユニークで素晴らしき創造物となり、未知の感覚的な世界を動き回る。豊かな舞台芸能の伝統を汲む日本のアーティスト達が使うのは、平凡とも言うべき一般的な素材だ。使われている人形は子供のおもちゃのようでもある。しかし黒子が舞台に現れ人形を動かし始めると、魔法が―強烈な感覚で!―かかるのだ。観客はいつのまにか色と音と感覚がとめどなく流れる世界へ引き込まれてゆく。大変な作業と技術が生み出す動きは正真正銘の不思議の国を作り出し、まるで天から授かった自然の姿であるかのようだ。
 舞台は日本の昔話をベースにした8つの物語で構成されており、善悪の力が永遠に戦う様子が軽やかで非現実的に、そしてきわめて詩的なダンスのように描かれる。しかし勘違いしてはいけない。この詩的な世界にあるものすべてが華やかで穏やか、快楽的なわけではないのだ。計算された不器用な動きや不協和音が不安を生み、場面の終わりに近づくごとに予定調和のハーモニーが少し壊され、観客を栄光とは縁遠い現実世界へと突然送り返してしまうのだから。この日本の舞台が教えてくれる美しき教訓は、素朴ながら非常に力強いものである。

日本の人形劇の特異性や公演成功の感想などについて、“ムッシュー&マダム・カワセミザ”に伺いました。

ー日本の人形美術について教えてください。
マスムラ: もっとも素晴らしい芸術のひとつだと思いますね。その歴史は何世紀もさかのぼるものです。人形美術は主に3つの操作、手と棒と糸に基づいています。しかし芸術劇団として大事なのは、それぞれの劇団が独自の技術を持つことです。私達の劇団は独自のシステムを作るために、3つの操作技術を混ぜ合わせ人形に動きを与えてきました。さらに公演を成功させるため、人形制作と準備に半年かけています。何より私達が目指しているのは、言葉を越えた想像の世界に観客を導くことなのです。

人形劇というジャンルは日本文化のアイデンティティを守る方法となりえますか?
ヤマモト: 正直に言って、劇団設立時にはそのような考えはありませんでした。日本人は真に現代的であることを目指し適応してきた民族です。日本に来れば我々がヨーロッパと同じように生活していることを分かるでしょう。もちろん我々は、“伝統的な衣服”である着物など日本の美の象徴とされるものも愛しています。しかし他のさまざまな文化に適応する力もあるのです。

チュニジアにはどんなイメージがありましたか?
ヤマモト: 特にありません。チュニジアと言えば日本のサッカーチームと対戦した国というイメージくらいです。

モロッコにもいらっしゃいましたが、どんな印象でしたか?
マスムラ: 「サイレント・ポエム」をやったのですが、公演は大成功で子ども達も非常に喜んでくれました。大人もです。モロッコとチュニジアは地理的に同じゾーンにあるにもかかわらず、生活様式は非常に異なると感じています。たとえばラバト(モロッコの首都)ではモロッコの民族衣装を着た人をたくさん見ました。チュニジアではよりヨーロッパ的な印象を受けています。

かわせみ座の舞台では照明が非常に重要な役割を担っています。なぜですか?
ヤマモト: 確かに、この舞台は照明がベースになっています。我々にとって照明とは、人形にリアルで幻想的な動きを与えるために欠かせない要素なのです。特に言語表現でなく身体表現を選んだ舞台では大事ですね。

「サイレント・ポエム」という題は叙情性にあふれています。どういう意味ですか?
マスムラ: この題は言葉のない詩のコレクションという舞台のコンセプトを具体化したものです。分かりやすい題ですし・・・。つまりこの題を通して、観客それぞれの想像力をかきたてようとしているのです。人形の世界への逃避行というわけです。

******************************************************************
ウニマ(世界人形劇連盟)会報
'96.6.27 ハンガリー・ウニマ世界フェスティバル招待公演 ブタペストにて

かわせみ座公演


 日本の招待劇団かわせみ座の舞台は、非常に美しい舞台であった。人形の遣い手である二人の人物をも美しい動きをみせていた。それはかわせみ座の人形劇が、人形だけで表現されるのではなく、人形を操る人間が人形にかかわることで成立するものだからである。
 例えば、ある二体の人形の会話は、具体的な言葉によって表現されない。人形の思いを言葉ではなく音として人間の声で表現するのである。人形の感情を言葉にたよることなく、人間の動きをふくめた舞台空間全てによって表現することで、表面的な表現にとどまらず、深みある物語をつくりあげることに成功している。
******************************************************************
『ベケス・メギエイ・ナップ』紙 '96.7.3
日本の精霊「ことばのないおもちゃ箱」


 観客は皆、独創的な演技を見たと感じた。
 細い二本のお下げ髪の女性と髭の男性による二人の演者は、日本の東京からベケスチャパまでやってきた。我々の国の言葉は彼らには通じなかったが、この人形劇フェスティバルに参加できたことをとても喜んでいる様子であった。彼らは「逆様の太陽」に慣れていないので、夜に稽古することを望んだ。
 彼らの演技は一般の聴衆だけでなく専門家をも魅了した。それは昨日の朝の出来事で、劇場につめかけた大勢の人々は、奇妙な魔術にかかったように別世界に連れていかれた。
 ヨシヤヤマモトとイズミマスムラの演技は息が合っていた。人形の声や動きが、舞台の上に一つの生命を出現させた。人形遣いたちの姿は、黒い背景の中に消えたが、時には人形を動かす技術に、時には人間が発する言語にならない声に、興味がそそられることもあった。
 シーン1と2では舞台の上にソフトで叙情的な世界が幻のように作りあげられ、個人の抽象化された夢がある瞬間にはヴァイオレットブルーの色で、別の瞬間にはエメラルドグリーンの色であらわされた。シーン3以降でも、独創的な人形が、箱から、水から、そして木の後ろから飛び出してきた。
 水の精であるつらら、木の精であるぐじとごべ、雪の精であるユキは、細い糸と巧みな演技者の手によってまさに生命を得た。舞台の上の人形たちの生命は短いが、私たちの心の中で永遠に生き続けるのである。
******************************************************************
Liberation紙(リベラション) 2002年10月6日(日)15ページ文化欄掲載記事
ラバト:日本の人形劇は子供も大人も魅了した


 技と表現力。水曜日ラバトにて日本の人形劇を公演した「かわせみ座」の二人の人形遣いは、その二つの能力を本当に兼ね備えていた。バックに流れる東洋の音楽も高く評価しつつ、いつもとは異なる人形の操り方に魅惑された観衆の前で、二人の人形遣いはこれまでモロッコでは見たことのない技量を発揮した。昔から古く受け継がれてきた東洋の技術を基礎として、「かわせみ座」は人形劇にこれまで世界的に知られているものとは異なる新しい次元を展開した。
 子供や動物を形取った人形を遣い、二人の人形遣いはシンプルではあるけれども精緻な動きで観衆を感動させることに成功した。モロッコでは新奇の公演に多数集まった子供も大人も、カエルと魚(訳註:河童となまず)の場面や、ぬいぐるみのクマと遊ぶ赤ちゃんの場面が特に気に入ったようだった。その題名のとおり、「サイレント・ポエム」は沈黙をキーワードとする。沈黙により主権を取り戻す動作。公演後に人形遣いの一人が述べているように、沈黙によって、観ている人が、子供も大人もそれぞれ自分の想像をもとに場面を解釈することが可能となる。結果は非常に素晴らしい舞台で、最初は「かわせみ座」が言及する沈黙が守られなかったため少々難しかったものの、観客は劇を正しく評価した。
 モロッコでは初公演だったが(ラバトとカサブランカ二ヶ所で公演)、「かわせみ座」の海外公演はこれが初めてではない。海外で活発に公演活動を展開しており、1996年には、ハンガリアのBEKESCSABA国際人形劇フェスティバルで最優秀賞を受賞している。